幸福ってなんだ
大上段に掲げたタイトルだけど、別に幸福論をぶちかましたいわけではなく(そもそも中身を知らない)、ここ数ヶ月でちょくちょく考えていることを徒然に書いてみる。
ひとは幸福でありたいと願うもの。あるいは幸せになりたいと思うもの。
ここは大体においてだれもが頷けると思う。
では幸福とは「自分が幸せだと感じる状態」なんだろうか?
でも実際にはそんな状態は長くは続かない。「幸福は慣れるもの」ともいう。
幸福とは「当人にとって嬉しいと感じる出来事が頻繁あるいは定期的に起きること」なんだと思う。
嬉しいと感じる出来事は人によって様々。だから「幸福にはいろんな形がある」というのはそこからきるているはず。
じゃあどんな時に嬉しいと感じるのか。例を考えてみる。
- 人に褒められると嬉しい
容姿でも感性でも行動の結果でも、褒められて嫌な気分になる人はいない。
被害妄想などネガティブ思考な人、自分のやったことの結果に満足していない人でも、悪意なく褒められれば嬉しいと思うだろう。
ちょっと飛躍するけど、世の中をより良くしたいと考える人も元をたどればここに行き着くんじゃないだろうか。最終的には自分の働きかけによって周囲が思ったような状態になった結果、自分の目標にたどり着いたという嬉しさとともに、少しは自分を褒めてほしい、自分で自分を褒めてあげたい、という気持ちはあるのではないか。
一言で言えば承認欲求の一形態なのかもしれない。
- 美味しい料理を食べると嬉しい
睡眠欲、性欲とともに一次欲求が充足または満足した場合、嬉しいと感じる。
言い換えれば五感で「気持ち良い、心地良い」と思えるものは嬉しいと思えるはず。
これまた飛躍するけど、iPhoneのヌルヌルした操作感、Macのマウスの追従性などに感じる気持ちよさも触っているだけで嬉しくなる。
- 好きな相手と会えると嬉しい
好きのレベルにもいろいろあるけど、青春の甘酸っぱいものもあれば兄弟愛、家族愛、同性愛も含めて、好きな人あるいは尊敬する人に会える瞬間は嬉しい。
AKBが「会いにいけるアイドル」として売り出しているのは、ファンを「幸福」にすることができるから、という見方もできる。
- 今までできなかったことができるようになると嬉しい
今まで不便だけどしようがなくやっていたことがとてもつなく簡単になった、とか、そんなことできるわけがないと思っていたことがあっさりできるようになったとか、そういった場合嬉しと感じる。
Suicaが始まって定期入れから定期を出さずにゲートにタッチするだけで通れた時「すごい、嬉しい」と思ったはず。
こうやって見てくると、嬉しいと思えることやそのタイミングは人によって本当に千差万別だとわかる。
ただ、これらの例でわかるように、あることが達成されれば幸福になるかというとそうではなく、その時の嬉しさが持続するか再認識するタイミングが定期的に必要となる。でなければそれは一過性の「嬉しい」感情でしかなく、「幸福である」という認識にまで至らないからだ。
翻って、今の自分は幸福であるかと問われれば、嬉しい感情を継続できるなにかを見つけられれば幸福と言えるし、それが見つけられなければ不幸な境遇だといえる。
そういえば昔のアニメで誰もが不幸だと思える境遇の中で「いいこと探し」を習慣にしている主人公の物語があったっけ…
※長い割になんのオチもないなぁ… ^^;)